心の中に「幻の甲子園」を抱いたまま、社会に出た青年が、青春の夢ふたたびと草野球にのめり込んでいく。野球を軸に結び付き、ひたむきに生きる男たちの姿をさわやかに描く。高木道夫(中村雅俊)は住宅雑誌のフリー記者。中学時代に野球部のエースだった道夫は、30歳になっても野球への夢が捨てきれない。ついにメンバーを集めて草野球チームをつくった。しかし腹の出た中年や野球オンチの寄せ集めばかり。初戦は45対0で大敗してしまう…。「監督には絶対忠誠!」と絶叫する軍隊調のコミカルな監督のもとで様々な対戦相手との試合に挑む。夏目雅子と中村雅俊との駅のプラットホーム(恐らく旧上野駅)での長いキスシーンが印象に残る。青春ドラマの佳編。
艺术选奖获奖(剧本·市川森一)对象作品。“1932年5月15日,暗杀时任首相犬养毅的政变集团,计划暗杀来日的喜剧之王卓别林。以滑稽的手法描写了被卷入这场风波的士官候补生(川谷拓三)、年轻电影人(根津甚八、夏目雅子等)的故事。
夢を持って会社に入った新入社員の奮闘と挫折を、1話完結で見せていく。ドラマの中では営業職につきもののノルマや、上司からのむちゃな要望、さらには社内恋愛や他会社からの引き抜きなど、社会人ならではの難題が次々と太郎に襲いかかる。だが持ち前の明るさでそれらを打破していく姿はまさに「痛快」のひと言。【以上、学研刊「1980年代全ドラマクロニクル」(TV LIFE編集部編)より引用】主演の広岡瞬はこの年の1月から放送された『太郎の青春』(1980 NHK)でも主演の「太郎」を好演。同じ「太郎」という役名で同じように明朗一直線のキャラに挑戦した。脚本の杉江慧子は本作放送開始直後から行方不明となり、翌1981年6月、北海道の山中で白骨死体で発見され、自殺と判断された。一部資料では放送回数全22回と記載されているが誤り。
芸術選奨文部大臣新人賞受賞(市川森一)対象作品。銚子外川漁港。「港シネマの経営をすべてまかせます」という父万造(室田日出男)の手紙を読んだ猿田禄郎(西田敏行)は、10年勤めた漁船機関士を辞めて陸へ上がった。彼のこころはバラ色だった。ところが、港シネマに戻った禄郎を待っていたのは、「お前は映写技師をやれ」という万造の冷たい言葉。港町の「虹を掴む男」のドラマ。毎回、懐かしの映画音楽や名場面が劇中で使われた。「金曜ドラマの前シリーズの突然の明日が、高視聴率を上げて枠の存続が達せられた為、再びドラマの前衛の役割を担う作品が生まれた。市川森一は、二年後の淋しいのはお前だけじゃないで脚本家としての名声を得るが、港町純情シネマはその先駆けとなった作品で、今でも根強いファンを持っている。プロデューサー竜至政美、ディレクター高橋一郎、前川英樹、市川哲夫の金ドラの常...
1922年(大正11年)、北海道小樽から名古屋の繊維問屋へ奉公に上がった主人公輪吉(志垣太郎)=少年時代は輪助(平田雄嗣)=が持ち前の才覚と根性で大商人になるまでを描く商魂ドラマ。【以上、毎日新聞1980/10/11付より引用】「根性ものでヒットを飛ばし続けてきた花登筐の原作脚本。東京制作が大半を占めるのがテレビドラマの現状だが、これは東海テレビ制作。名古屋が舞台で、名古屋弁が売りもの。前回第一話の視聴率は関東で7.4%だったのに、中京地区では22%と高かった。これは地方視聴者がテレビにローカル性を求めていることの証左か?繊維問屋丸幸商店の主人、幸一郎(高田次郎)は易にこって、北の方角から小僧を雇い入れたいという。出入りの行商人、安森(岸部シロー)が、北海道小樽の少年、輪助(子役)を世話する。一話目は場面が北海道と名古屋を往復してにぎやかだったが...
主婦、尾形綾子(中田喜子)は三人の子供と、家庭教師の教え子、葉子(真行寺君枝)を連れてスペインのマドリード大学に留学した。33歳。サラリーマンの夫(滝田栄)をひとり残して家をあけることに周囲はみな猛反対だった。それを押し切ったのは綾子の情熱と、「いいよ、行ってこいよ」という夫のひと言だった。ドラマは美しい現地ロケを多用してスペインでの生活ぶりをスケッチし、そこに周囲の反応をはさみながら進行する。子連れ留学とは、単なる主婦の冒険談ではなく、夫婦の絆(きずな)とは、家庭とは、教育とは--を考えるひとつのきっかけにしたい、という制作者の意図を鮮明に伝える。そして、そのひとつの回答はラストシーンで、夫が帰国した様子につぶやく「俺の方が長い旅から帰ってきたような気がするよ」というセリフだろう。視聴者は、夫も自立への旅に出ていたことを知らされるのだ。小西章子(...