竜神一家のために命を張り、網走刑務所入りした橘真一は、出所日に破門状を突き付けられた。先代が沖縄で事故死し、関森が強引に跡目を継いだらしい。橘は関森に何か企みがあるとにらみ、沖縄へ向かった。沖縄に着いた橘は、パスポートをすられてしまう。そのパスポートを拾ったのは、関森の秘密を握る佐竹の女夏子であった。橘は夏子から豪田一家と関森が手を結び、竜神親分と親交が厚かった“ギボ建設”を潰そうと企んでいることを知る。豪田一家には網走時代のなじみ、大槻と樫山がいた。この二人も竜神親分の死因を調べるべく豪田組に潜り込んでいたのだった。ある日、ギボ建設が資材を運び出そうとしたところを豪田組が襲う。その中に沖縄行きの船で出会った南がいた。二人はおざなりの格闘をして海へ身を投じる。それを見てほくそ笑む関森と豪田だったが…。
網走刑務所から通称白熊という囚人が脱走した。秀は白熊の助けをしたとして看守に殺され、怒った橘は白熊を追い自らも脱獄する。秀の故郷ノサップは石油発掘で大騒ぎになっていた。石油の大元が秀の家族が住む掘立小屋であるため白熊の父権田は暴力団を使って秀の家族を脅迫していた。土地を奪おうとする権田白熊親子の陰謀に橘たちが立ち向かう。
鞍马天狗因帮助流浪小艺人杉作(美空云雀饰)被新撰组识破身份,又因助人被喜代(山田五十铃饰)误会成杀人凶手。鞍马天狗杀出重围,救出杉作,收为义子。在与新撰组的冲突中,杉作从大阪城的水牢中救出了落难的天狗。后来天狗又以其凛然正气慑服了喜代。喜代坦白,近藤勇正率大队人马来向他挑战!
When Mondonosuke, a young sword student has a bad dream about his sensei being killed in a duel, he decides to return to Edo to see if he needs help. In the 3 years since he left, he has mastered the secret sword style "Sadanami-giri", that was begun by Sir Ikkaku, who had taken Mondonosuke under his wing after he had been expelled from Master Katakura Ikkansai's Dojo.
北海道北端の網走刑務所。殺人傷害8年の刑で服役していた橘真一は、所内で起った脱獄騒ぎには眼もくれず、雑居房の仲間たちの羨望の眼差しに送られて仮出獄となった。さしあたって行くあてもない橘は「社長が俺の保釈金を出してくれる筈だ」という病身の葉山の願いをかなえてやろうと、釧路港の志村運送店へ赴くが、そこは運送店とは名ばかりでオンボロトラックが一台あるきり、とても保釈金を出す余裕などなかった。そんなところへ、オホーツク海側の港町に荷物を運べば莫大な費用を出す、という男安川と金田がやって来た。ちょうど思案にくれていた橘は、葉山の保釈金を得るために、その危険な仕事を買って出たのだが…。
網走刑務所で5年の刑期を終えての気儘な汽車の旅の途上にあった橘真一は、ノサップの炭鉱まで父に会いに行くという一人の少女チエと出会い、同行することに。その父親とは網走刑務所仲間の大槻であり、再会を喜ぶ二人。だがこの炭鉱は、総支配人関野をはじめとした炭坑長の蝮たち一派が専横する地獄のような場所だった。血の気は多いが正義漢の橘、鬼寅ら網走帰りの一騎当千の暴れ者たちが、犠牲となっている炭坑夫たちのために零下30度という極寒の大雪原を舞台に、炭鉱を支配する悪の一味と凄まじい銃撃戦と騎馬戦を繰り広げる。
両国の川開きに、旗本の上野山伝内等の魔手を逃れた芸者の小吉は、そこで鞍馬天狗に出会った。天狗は、小吉の兄が鉄砲職人だったが、突然姿を消したことを知った。それから後、天狗は悪旗本をこらしめる幻庵という老人に出会ったが、何か由緒ありげな様子に興味を惹かれた。その幻庵老人に出入りする若杉弥十郎という青年は、旗本の身ながら、何故か老中松平主計介を狙い、妹ぬいを隠密として老中邸に住込ませ、又その消息たえるや、今度は彼を慕う腰元まきを邸に入らせた。ある日川に美人死体の入った葛篭が流れていたのを天狗は取ろうとしたか、伝内等に妨害され、佃島へ送られて闇に葬られようとしたので、天狗と弥十郎は佃島へ忍びこんで見たところ、この死体は弥十郎の妹であると分って驚愕した。今や天狗はすべての事情を知った。主計介が佐渡にいた時、志村織部という大目附が彼の非行をあばいたので、下役の弥...
東映が1951年(昭和26年)の創立以来30周年を迎えたことを記念して製作。片岡千恵蔵、市川右太衛門、萬屋錦之介、大川橋蔵のインタビューを織り交ぜながら、東映の昔のチャンバラ映画を集めて分類し再構成した映画。本作のプロデューサー東映の豊島泉は「僕だけで200本くらい見たけど、やっぱり一番フューチャーしたかったのは沢島忠監督やったね。ずば抜けて面白かった。沢忠さんというのは、日本映画史の中からすごく欠落している人なんやな。誰かちゃんと評価せんともう忘れ去られると思う。僕らの世代がギリギリ子どものとき見た世代やし。今見てもその感覚は今的やもんな」などと1985年のインタビューで述べていた。
1972年(昭和47年)に劇場用映画の監督を引退したマキノ雅弘は、引退後、テレビ映画の監督を同名義で行っていたが、本作の総監修を機に「マキノ雅裕」と表記を改名した。...